間違いだらけのMBAが横行

間違いだらけのMBAが横行

まず、既に書いてますが、日本の大学の正式な学位にMBAなど外国語表記は存在していません。アカデミックな修士コースであれば、例)修士(経営学)、専門職大学院であれば、経営学修士(専門職)という表記になります(14種類以上あるので経営学を例に)。

問題なのは日本の大学でMBAと表記し、学生も履歴書に○○大学MBAと学歴に書いてる例や書籍の著者がそう書いてる例をよく見ますが、正規の正式な学位ではありません。

なぜこのようなことが起こるのか?その方が充分MBAというものの背景が理解していないのか?学校側が理解させるような教育的インフォームドコンセントをしていない事が考えられます。いくらMBAの国際認証を取得していても、日本の大学は文科省により認可されていてその学位は、認可通りの日本語の学位表記です。

もっと勘違いをおこさせるのは、第三者品質保証機関(国際認証機関も含む)の品質保証なきコースは自称MBAに過ぎないという事です。しかし中には、奇妙なこと書いている学校もあります。国際認証は従来型の教育内容で、わが校の例は従来型ではなく新しいタイプであり、その評価には適さないとか、卒業生が証明であるとか。これは笑止千万です。従来型であろうと新しいものであろうと第三者による品質保証なければ、校内しか通用しないものであり、履歴書に書く価値がないという事です。特に日本の大学の品質保証をしている文部科学省にはMBAというものの概念もなく、担当部署もなく、MBAの認証機関でもありませんから、なおさら学内しか通用しないとなります。卒業生はその証明にはなりません。いろんな卒業生のレベルがあります。品質保証不要であるなら、文科省の認可も不要として文科省認可から外れれば良いのではないでしょうか?このような記述に納得している応募者がいるとすれば国際的ビジネスマンの代名詞にもなってるMBAホルダーは井の中の蛙と日本では言ったほうが良いのではないか。

また、最近目に余るのが何でもMBAコースと謳ってる学校が出てきた。MBAのようなコースカリキュラムを設置して科目の専門家が教えればMBAコースであるとはあまりにもMBA知らずの短絡的発想である。教員はそれなりのファシリテーションのスキルが要ります、最近大学ではアクションプログラムなどと言ってますが、もっとリアリスティックでかつダイバーな学生の突っ込みに対峙する精神的なスキルも要ります。アカデミックな教員が太刀打ちできるコースでは本来はないのです。ただ日本人は先生様として崇めてしまうため本来のMBAにはなりにくいのでしょう。教員目線で、学生を見るのではなく、参加者(学生)は投資家です。それに対して均等な対価を授業として提供するファシリテータが教員であります。学生の反論で、何で教員に反論するのか?というような雰囲気の学校のケースを良き聞きますが、もはやそれはMBAコースではない。日本の学校は鎖国発想です。

そもそも英語で学習できないのでは、英語できないMBAホルダーに価値があるのか?日本語しかわからなければ情報は須く日本人が訳したもの、書いたものしか入手できないということです。今の時代、いろんな方法で現地の情報を入手できます。それを元に新しい発想のビジネス企画のアイデアとする事もできるわけで、その意味では私であれば給与を高くしてまで雇用しませんね。

あんちょこに何でもMBAは市場を混乱し、日本人を益々江戸鎖国時代と変わらない井の中の蛙を製造するようなものであります。高い授業料を払うのですから応募する側もよく勉強してからにした方が良いですね。ただこういう人もいます、そのような品質保証がなくても、たくさんの学生や教員に恵まれ実力がついたので、その方が重要と言いますが、これも世の中を勘違いしてます。履歴書にはちゃんと〇〇大学MBAとちゃっかり書いてます。MBAがどういうものなのかのわからない日本企業の人事などは騙せても、外資系などは事業担当部長が直接採用して人事的手続きを人事に任せるケースが多いので、そこで馬脚を現すことになる。

実力などは、将来を保証できるものではない。また転職時はヘッドハンターは、どのような学位を取得しているかを見るのであって、たくさん学生がいて勉強になったなどの戯事には関心はありません。彼らは基本3ヶ月に1本決めないと解雇されます。売れない候補者に関わる暇はないという事です。

入学される時はよく調べて入学を決める事です。日本流は益々通用しません。

さらに言えば、専門職大学院ならまだしも、アカデミックスクールがMBAとの賜ってることが理解できないし、その学科長なり教授は学問体系を理解しているのかと首をかしげる。日本では現在修士学位は、例えば経営学とすれば、修士(経営学)と書く、専門職大学院の場合は経営学(専門職)と書く。

しかし、立教大学ビジネスデザイン学科の例をとれば、明らかにアカデミック学位であり、修士(経営管理学)、博士(経営管理学)さらに博士課程前期後期という表現は理にかなっている。しかし、MBAやDBAと表現すればそれはProfessional degreeなので分野が違う。博士課程前後期という概念でもないし、修士(経営管理学)であればMBAという概念とは合致しない。そもそも修士(経営管理学)と経営管理学(専門職)とどう違うのか?

無理に英語で訳せば、前者はMaster of Science in Management, 後者はMaster of Management(professional)→これは日本の専門職大学院制度で、世界の常識では MBA(Master of Business Administration)でしょう。

であれば、立教大学のその例でいえば、Master of Science in managementは正解。

経験者の落とし穴

プロの落とし穴。経験者の落とし穴。
学ぶに謙虚が一番。
自分はわかってるがは障害物。
MBA取得後コンサルタントになる人は昔から多い。しかしそれで飯が食える保証はない。逆に飯を食ってるコンサルタントでMBAコース通過してない人も多い。MBAは経営管理学の世界共通言語。学ぶに損はない。食えてるから要らないというコンサルタントがいる。今経営がうまくいってるのに何故改善する必要があるという会社幹部経営者が居る例と同じ。自分はわかってる、知ってるという意識が自分と顧客の成長を邪魔してるかも?プロの落とし穴。
顧客も進化したがってる。
障害物は自分のエゴ。
学ぶに遅きは無い。学ぶに謙虚が一番。
新しい事を学ぶには過去をリセットが一番吸収される。

医師のMBA学習の意義


最近は、医療関連者、医師のMBA入学及び取得者が増えてます。
机に向かって患者を見るだけではなく医療経営に関わる人がい多くなって来ました。
MBAを学ぶ上で勿論世界基準の経営管理学を学ぶことは当然の理であり、
それによって術としては大きく成長が期待できます。しかし、もっと大事なことは
特に精神面というよりは「心」の変化、開眼、自己の発見であるとも言えます。

日本では子供の頃から成績の良い人は医者の道と言われて教育されてきた歴史が
あると思いますが、そのような人たちが患者の前に出れば時には傲慢になったり、
インフォームドコンセントなんてナンセンスと言ったらになりますが、海外では必ずしも
そのようなこともない先進国もあります。
医師がMBAのクラスに入り、クラスメートとの議論で打ちのめされることはよくあります。
その時に、自分は無知であると謙虚になれるかどうかです。ここがキーです。
プライド傲慢を捨て、謙虚に学ぶことが成長のキーでもあります。
ある種プライドを叩きつぶされることが大きな転機となる場合もあります。
MBA学位はお飾りではありません。その点を誤解されないことが大切です。

MBAの3大キーワード

*MBAの3大キーワード
1.General Management
2.ゼロベース思考
3.ダイバーシティー

MBAの概念は
General Managementであり、ある専門のコースではありません。
経営管理者が経営管理学を包括的に学びディビジョンなり、会社を動かしてゆく
術や意識を学ぶコースであります。よく誤解されるのが下記の違いです。
MBAは「経営学修士」と訳すには不適です。

経営学修士 Master of Science (MSc) in Management
経営管理学修士 Master of Business Administration (MBA)

ゼロベース思考
新しい事を学ぶには、過去の自分の固定概念、実績、執着を溶かしてゆかないと
学びの成長はありません。無意識にこの呪縛の中で自己の成長を妨害しているのが
あなた自身です。特に日本の学習は子供の頃から絶対正解主義で、正解は一つしかない
という記憶知識偏重型学習で、MBA学習の根幹である「論理の組み立て」、「フレーム」で
思考するという形になりにくく苦労します。どうしても知識のハリボテとなる傾向がある
この点が世界に通用しないのです。

ダイバーシティー
MBAクラスの設計は基本、「意図的に社会の縮図を意識して形成されます」。
ビジネスと言うキーワードに関連する多種多様な人たちが入学します。そこで異種格闘技戦を行うがごときです。
クラス外の身分地位は無関係。視野狭窄の専門家の集まりですからここで目を覚まされるのです。
「MBAは自己発見の旅です。心の成長の旅です」。

日本の大学の評価

日本の大学の世界的ランク。
英国TIMES紙によれば東大は世界ランク37位、アジアで7位。ここです。日本はアジアの優と思ってる人が多いが、実は中国の大学(清華大学、北京大学)、シンガポール国立大学は
はるかに日本より国際的評価が高い。日本は田舎侍とも言える。MBAの世界で言えばFinancial Times Global rankingではTOP10に中国のビジネススクールが数校ランクインしている。日本は200位にも出てこない。
MBAという世界基準の経営管理学(経営学ではない)を学び学位を取得すのに日本の大学に入学する人を理解できない(我が友人、国際ビジネスマン)。ましてや自称MBAが反乱し何でもMBA。学校は説明しない(教育的インフォームド・コンセント無し)。それを自分で検証すらしない人が入学している。とてもアジアの先進学校には及ばない。
また、日本人学者で世界に通用する人は殆どいない。
世界の経営理論もできるだけ原書に挑戦してください。
書いた本人の息使いを感じてください。日本の学者が訳した及び解説したものを信じ込まない。通訳を通じて交渉したときのもどかさ、顧客の代理人と交渉した時の感覚がそうですが、なるべく直接に接することをお勧めします。
本や学者に惚れ込み後生大事に床の間に飾って人たちがいますが、やはりvery Japaneseですね。ドラッガーなど典型で日本人が一番崇めてるでしょう。私の付き合ってる欧米人や香港シンガポールビジネスマンは、入手したノウハウ知識を自分のものにしたらさっさと過去を捨てる。新陳代謝の速さです。アジアのビジネスマンのスピード感は日本人はついて行けない。彼等はドラッガー理論は中間管理職でトップは違うものを読まないとと言ってた。まだまだ残念ですが日本人は江戸時代から変わっていない。裏山の種池のメダカやカエルが俺たちエリートと言ってる世界から脱して世界に目を向ける世界から日本を見る意識を持って頂ければ幸いです。

経営理論はなるべく原書で読むほうが良い

  1. 誤訳がある
  2. 正確に訳してるつもりでも読み手に適切になってるとは限らない。
  3. 訳者のバイアスがある。特に日本人学者。
  4. 日本人経営学者の論文はその分野の世界のtop10ジャーナルにどれだけ採択されてるか?
    日本人学者を盲信しない事。
    世界の理論を書いた本を出してててもその人の理論ではない説明本。
  5. 日本をベースにものを考えないこと。
    鎖国時代の日本の学者を通じて世界を知った(実は知って無かった)ことになる。
  6. 英語で考えることが重要。
  7. 人や本に簡単に感動しない事 自分なりの切り込みを入れる事

所詮訳本は他人の書いたものである。
原書を読み自分で判断 違ってても良い。特に前線で実戦経験のない血の粉火の粉を浴びてない火薬の臭いのしない日本人学者に魂を抜かれないように。MBAは経営を研究するコースではない。実践者、実戦者養成コース。